アメリカでのあたらしい挑戦
2014年 08月 18日
まだまだ先の事だと思っていましたが、
アメリカへの出発まであと10日程となりました。
出発が当初の予定から延びていたのは、相方さんの仕事の都合もありますが、
いちばん大きな理由は、家族増員になることが長崎入りしてからわかり、
安定期をむかえるまで、飛行機にのれなかったということもありした。
とても嬉しいことでしたが、このタイミングに驚き、
また気がつくまでは、1人で引越しをして、スーツケースを持ち上げ、
飛行機にも乗り、あげくに長崎ではすでに3回もテニスに行っていたし…。
心配がたくさんで、毎回健診日までをとても長くかんじながら過ごしていました。
でも、気持ちを切りかえて、この時期を選んで来てくれたのだから、
肝がすわった子だと信じて、地元の友だちとの時間を楽しんだり、
妊娠出産に関わる英会話をはじめたり、ミシンがないので手縫いで
赤ちゃんグッズをつくってみたり。
ひつじどし産まれになるので、ひつじのてぬぐいを使用。
はじめのうちは、細かい作業を続けると気分がすぐれなかったので、
のんびりカメさんペースで仕上げました。
この家族増員で、私たちがまず考えなくてはいけなかったのは、
どこで産むのかということ。
まだ住んでもいないアメリカでの出産にためらいもありましたが、
胎児の成長や産まれるとき、産まれてからを家族で一緒に過ごしたいと
思い、相方さんを頼りにアメリカ行きを決心。
それまでは長崎で健診となりますが、ここで最初の壁に直面。
横浜からすでに国外への転居手続きをしていて、国内に所属がなく
母子手帳がもらえない。病院にきいてもわからないし、
世帯主はすでにアメリカだしどうしようと思い、長崎市役所へ。
この時のわたしは、もし赤ちゃんになにかあったときのためにも、
絶対に母子手帳はもらってあげなくては!と思っていたので、
役所の方に事情を説明。滅多にない事例だからか、
女性の方が二人掛かりでしらべてくれました。それを待っていたら、
また別の女性が現れて、わかったら呼びますのであちらで座っていてください、
と気遣ってくださり、門前払いにならないか不安でいっぱいだったから、
妊婦さん扱いをされたはじめての経験に涙がでそうになりました。
結局、いい特例がみつかり、パスポートや横浜からの抄本取り寄せも
必要になりましたが、無事に母子手帳をもらうことができました。
保健所の担当の方も、書類取り寄せのため一日に2往復したと知り、
きつかったでしょう。帰りは気をつけてゆっくりしてくださいね、と
言ってくださり、また涙がでそうな気持ち。
私がもし、また接客をして働くことがあったら、
親切返しをしなくてはと思う程、みなさんの対応がジンとしました。
しかし、これからアメリカでの使用の方が多くなるので、
調べてみて、2カ国語が書いてある母子手帳と指差しでトラブルを伝える冊子を購入。
2カ国語がかいてある分、冊子が大きいので、サイズがあう母子手帳ケースがない。
芯材を入れたので針運びが大変で指先が痛い。
歴史博物館での体験で刺した長崎刺繍のサクラも黄色だったので、こちらもポケットにしてつかってみました。
胎児は半分は長崎、半分はCAで育つことになるわけだし。
胎児は半分は長崎、半分はCAで育つことになるわけだし。
型紙もとらずにジョキジョキはじめましたが、なんとか完成。
性別がわからないので、帽子などと同じくどちらでもいいような色合いに。
そんなこんなで、新しい挑戦が9月からいろいろまとめてはじまります^_^
なかなかない経験になりそうまので、本来は作品を記録するためにはじめた
ブログでしたが、こちらでも記録していこうと思います。
長くなったので、続きはまた…。
by hue2010 | 2014-08-18 22:04 | アメリカ出産の色イロ